とても興味深いお話です。
インターネットから引用させて頂きます。
中国の古い昔、法遠(ほうおん)という坊さんが師匠に弟子入りを願い出た。
禅門は簡単に入門を許さない。
玄関で待っていると師匠が現れ、いきなり桶(おけ)の水をバサッとかけた。
他の志願者は皆腹を立てて帰っていったが、法遠だけは残り続け、入門を許された。
弟子になって間もないある日、師匠が外出した。
法遠は蔵に入り、普段は食べられないご馳走をつくって皆に振る舞った。
ところが、思いがけず予定より早く師匠が戻ってきた。
師匠は激怒し、法遠を寺から追い出したばかりか、ご馳走した分を町で托鉢(たくはつ)してお金で返せ、と要求した。
法遠は風雨の日も厭(いと)わず托鉢を続け、ようやくお金を返した。
すると師匠は「おまえが托鉢している間野宿をしていたのは寺の土地だから家賃を払え」と迫った。
法遠はその言葉に従い、また黙々と托鉢を続けた。
その様子をじっと見ていた師匠は弟子を集め、自分の後継者が決まった、と宣言し、法遠を皆に紹介した。
弊社主催の徳望塾で円覚寺の横田南嶺(なんれい)管長が述べられた話である。
これに続いて、横田管長はご自分のことを話された。
横田管長は四十五歳で円覚寺の管長に選ばれたが、なぜ自分が選ばれたのか分からない。
ただ一つ、これかなと思うものがある。
それは「ここを離れない」という一事。
どんなことがあってもここから離れない。
ここを見限らない。
ここに踏みとどまる。
自分が貫き得たのはこの一つ。
それを師匠は見てくれていたのではないか、と横田管長は話されていた。
ここを離れない…長の一念はここに始まりここに尽きるのではないだろうか。
国であれ会社であれ家庭であれ、あらゆる組織はそこにいる長がどういう一念を持っているかで決まる。
それがすべてといっていい。
『致知』三十五年、様々な分野の長にお会いしてきたが、
一つは「修身」、
二つは「場を高める」。
この二点に意を注がない長は長たる資格がない、と断言できる。
気まま、わがまま、ムラッ気を取り去る。
修身とはこのことである。
さらには、公平無私、自己犠牲、先義後利(目先の利益を追わない。義務が先、娯楽は後)を率先垂範(そっせんすいはん)することである。
長が私意をほしいままにして、組織が健全に成長するわけがない。
次に場を高めること。
長たる者は自分のいる場に理想を掲(かか)げ、そこに集うすべての人をその理想に向け、モチベートしていく人でなければならない。
「適切な目標を示さず、社員に希望を与えない経営者は失格である」とは松下幸之助の言葉だが、まさに至言である。
最後に、最近逝去された経営コンサルタントの船井幸雄さんの晩年の言葉を付記する。
「四十余年経営コンサルタントをやってきて分かったことがある。
どうしたら経営がうまくいくか。
それはそこにいる人が命を懸けている。
それが第一条件。
いるところに命を懸ける。
これが大事」
長として欠かせない姿勢であり、一念である。
~引用終了~
とてもためになる文章だと思いました。
長としての2つの条件
①修身
②場を高める
この2つ、私は会社の代表者として努力していかなければいけませんね。
ところで、あまり聞きなれない”修身”という言葉ですが、
調べてみると、
昔、小学校で”修身”という教科があったようですね。
努力・友情・親孝行・正直、、、など
生きていく上で大切だなぁと思う項目について
わかりやすく実在の人のエピソードをもとに学ぶ授業があったそうです。
復活させたらいいのに、と思いました。
年端もいかない子どものうちから、
そういうことを学校で勉強できたらいいなぁと思います。
とはいえ、、、
人のことよりまず私自身!
もっと自己研鑽に励まなければなりません(笑)
この文章を読んでもう1つ、
強く思ったことがあります。
それは、うちにいる社員さんで、
「ここを離れない覚悟」
を持ってくれている人が私が知る限り何名もいます!
そういう社員さん達に、報いたいです。
「ここにいて良かった」
「ここを離れなくて良かった」
そう思って頂けるような会社にしたい!!!
一緒に働くって、一緒に生きているのと一緒だと思います。
会社にいる時間って、家にいる時間より
長いんですよね。
(就寝時間を省けば。)
つまり、同じ会社で働く人たちは
人生の多くの時間を一緒に過ごす人たち、
ってことです。
家族ではないですが、
家族とはまた違う、絆があると、
私は勝手に思っています(笑)
だからこそ、
覚悟をもってくれている社員さん達に、
恥ずかしくない会社、代表者でありたい。
心からそう思います。