「あの頃はね、何度か危ない目に遭ったよ。」
「よくぞご無事で・・・
もし何かあればこうやってお会いすることが出来なかったですよね・・・。」
そんな軽い感じの会話から利用者さまが戦争時代の話を始められました。
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1度目は空港で作業をしていた時のこと。
急にB29の襲来を受けいきなり爆弾を投下しはじめた。
私は必死で逃げたが仲間が先にどんどん逃げてゆく。
爆辺が飛び交う中もう無理かと思ったが、停めてあった飛行機の車止めで
頭を保護しようと取りに戻った瞬間、ものすごく鈍く大きな音と共に
爆弾が目の前の仲間達に命中してしまった。
爆風がおさまり、仲間達に近づくと仲間の一人の足首だけが落ちていた。
それを拾って部隊に戻った。
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2度目は2月の寒い日飛行機に乗っている最中エンジントラブルで飛行機が海に墜落した。
衣類を脱ぎ捨てながら漂流していたが、身元が分かるようにシャツだけは身につけていた。
しかし、シャツを身に着けての漂流は体力の消耗が激しくシャツも脱ぎ捨ててしまった。
それでも、サメは自分より大きなものを襲わないという習性を教え、
ふんどしだけは身につけ布を長く伸ばし漂流していたが、ふんどしの布が足に絡まるので
危険を顧みずふんどしも外してしまった。
どれくらいそうしていたか不明だが、救助艇がきて助けられたが3日間意識が戻らなかった。
実際はそう長い時間ではなかったようだが、恐ろしく長い時間に感じた。
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特攻隊の出撃前夜は、無礼講でしたい放題だ。
酒を飲んでは私たちに日本刀を振り回し大暴れだ。
「貴様ら!よく聞け!明日、出撃する。
どんなことがあっても敵を壊滅するまで死なずに頑張るのだ!!」などと
叫びながら、日本刀を振り回し、私たちのつり床(紐で板を吊ってベッドとして使っているもの)
を日本刀で切っていった。
そんな好き放題しても上からの叱責も無かった。
(二十歳の若者だったそうです。
明日はお国のために死んでゆくのです。正気ではいられなかったのでしょう。)
明朝、特攻隊が集合し、事務員から花束と水杯をかわし、杯を割って敬礼、いざ出撃です。
芯管を抜いて爆発するしかない魚雷をワイヤーでくくりつけ、燃料満タンにし出撃された
仲間を見送ったそうです。
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私は、昨日のことのように話される利用者さまに驚き尋ねました。
「戦争のことは死ぬまで忘れない。
生々しく覚えている。命に刻まれているんですよ。」とのことでした。
どの話も淡々とお話される様子と内容のギャップが大きすぎて不思議な気持ちで
最後まで聞き入ってしまいました。
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今、戦争の話を語り継げる方が少なくなっています。
せめて、ブログに載せ、今現在の貴重なお話を少しでも多くの方に知ってもらいたいと
記事にしてみました。
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戦争は愚かです。
どこかの地方では、若くして亡くなった兵隊さんには嫁入り衣装を着た日本人形の花嫁と
遺影を飾られるのが慣わしだそうです。
結婚することもなく若くで散った命。
せめて日本人形の花嫁を・・・との家族の想いでしょう・・・。
胸が詰まりました。
~ 生きたい ~
ただ、それだけの願いを叶えられなかった若い命。
もう二度と間違いは起こしません。
心からご冥福をお祈りいたします。