最近読んでいた本について。
私が好きな中山七里さんのミステリ小説なのですが、
臓器移植がテーマでした。
ある日、臓器が抜き取られた女性の遺体が発見されます。
しかも次々と同じような手口で、犠牲者が出てきてしまいます。
平成の切り裂きジャックと名乗る犯人から声明文まで届くのですが、
犠牲者の共通点が見つかります。
どうやら臓器移植を受けた人たちだった、ということが判明するのです。
しかも同じドナーから。
そこからどんどん話が進んでいくのですが、
あまり書きすぎるとネタバレになるのでここら辺でやめておきます。
臓器移植について
私は何が正しいのか自分の中で答えが見つかっていないままです。
臓器移植を受けられる人は世界でもほんの一握り。
何せ膨大な費用が発生するので、費用負担できる人しかその恩恵は受けられないわけです。
利権がらみで臓器移植をビジネスと捉えてお金儲けしている人たちもいるそうです。
また、脳死=人の死 なのかどうかというところもはっきりと結論が出ていないまま臓器移植が推進されていってしまっていると書かれていました。
脳死判定の基準はいまだに曖昧で、日本での脳死判定は複数の医師が
何度も確認して判定されるそうです。
脳死と判定されても体は温かいんです。
なのに臓器を取り出した後、返ってきた体は冷たくなっていて、
残された家族は2度目の死を味わうことになるそうです。
それでも、臓器移植されることで助かる命があることも事実で、
臓器移植で誰かの命をつなぐことができるのであれば、
まだ自分の家族は生きていると思える、
そう思うドナーのご家族もいらっしゃるようです。
小説の最後の方の一節
女手一つ育てた一人息子が交通事故で脳死し、
息子の心臓を移植された母親が、
レシピエント(移植を受けた人)の胸に耳を当てて
心臓の音を聞かせてもらうシーンがあるんです。
泣けるシーンです。
自分の息子がそこで生きていることが母親の私だからわかる、と。
また、移植を受けた方の青年も、自分の命をつないでくれた、
会ったこともないドナーに心の底から感謝しているんです。
強靭な心臓をもらって、二人三脚で生きている実感があると…。
そういうシーン(小説ですが)を目にすると
臓器移植も必要なのかと思います。
※本来、ドナー⇔レシピエント間の個人情報は一切漏れないように
なっているそうで、お互い知ることはできないそうです。
皆さんご存じの通り、京都大学山中教授のIPS細胞のおかげで
近い将来臓器移植が必要なくなると言われているようです。
早くそうなって欲しいと切に願います。
医療は、万人のため、
貧富の差に関係なく多くの人の命が救われるためにあって欲しいものです。