最近読んだこちらの本のご紹介です。
の著書、中山七里さんの話題作です。
本屋さんに目立って並んでいまして、即買いしてしまいました。
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教誨師という職業のお坊さんが主人公です。
※教誨師とは・・・
服役中の囚人に対して、過ちを悔い改め徳性を養うための道を説く人。
多くは宗教家がこれに任ぜられる。
日本ではとくに真宗の僧が多く行っている。
この主人公のお坊さんが、まぁ~~~良い意味で人間臭くて。
最後の方なんて、知り合いの刑務官の方に色々無理なお願い事をするのですが、
「優しさに付け込むのは今しかない!!」などという心の声がなんとも憎めなくて、
「いけいけ~~✊」と私も内心エールを送っていました。
こちらの本のあらすじをお伝えします。
主人公のお坊さんが教誨中、とある死刑囚を見かけます。
その死刑囚は大学時代の友人でした。
調べると、通りすがりの若いカップルを殺害した罪で死刑宣告されていました。
実はその友人とは単なる友人以上の絆があり、
殺人を犯すような人間ではないことをよく知っていたので
冤罪ではないのか?という疑念を抱きます。
でも本人は罪を認めて死刑を受け入れているのです。
調べれば調べる程、色んなほころびが出てきます。
このお坊さん、、、上から怒られながらもめげずに東奔西走するのです。
破門になっても自分はどんなお咎めを受けてもかまわない、という覚悟のもと頑張るのです。
さぁどうなっていくのでしょう…
そして、真犯人は誰なのでしょう…
今回、教誨師というお仕事を知り大変勉強になりました。
死刑制度については私は昔から賛成派でした。
あまりにも残虐な犯罪の加害者は、生きているだけで遺族が救われない。
例えば被害者が子どもだった場合は特に、奪った命の代償は計り知れない。
加害者の命をどれだけ差し出しても全然足りないくらいのものだとさえ思っていました。
でも今回この本を読んでいて感じました。
0.1%の冤罪が混ざっている可能性がやっぱりあるんだなぁと。
あと、司法制度がなかなか過ちを認めないシステムであることも、相まって死刑制度がさらに難しい問題に思えてきました。
日本での死刑は絞首刑です。
法務大臣が死刑執行のサインをすると死刑が決定します。
本人が知るのは当日の朝だそうです。
以前は前日に通知することもあったそうですが、
それをすると執行前に自殺してしまうケースがあったそうです。
死に際には恐怖のあまり執行場所まで自力で立って歩けない死刑囚も多いそうで、
両脇から抱えられていく人も少なくないそうです。
今回の小説はフィクションです。
こんなケース(完全冤罪)はとても珍しいのだと思います。
私…この本を読んでもなお極刑は必要ではないかと思ってしまいます。
もちろん冤罪ではない前提ですが。
世の中、ひどい事件が多すぎます。
死刑で人の命を司法(人)が奪うのはどうか?という議論になるのであれば、
その前に何も悪いことをしていないのにある日突然殺された人の命はどうなのか?
と思ってしまいます。
結論が出ない、賛否両論ある論争のことを英語では
cotroversial topics と言います。
例えばすぐ思いつくのは、
死刑制度
安楽死制度
同性結婚
動物園制度(←動物虐待とみなす議論もあります)
などです。
昔、留学していた時に、
for(賛成) or against(反対)
どちらの立場にも立ってクラスメートとディベート(討論)する機会がありました。
最初は自分の意見の立場に立ってディベートしますが、
先生の合図とともに、賛成⇔反対の立場を入れ替えるんです。
自分の本来の意見と反対の立場に立ち、根拠や理由をたくさん考えるんです。
そうすることで、反対意見の人の気持ちが少しわかることもありました。
結構面白いですよ。
日本でもやるべきですよね。
すみません、横道にそれてしまいました。
ところで教誨師というお仕事ですが、作中、主人公も色んな葛藤を持っておられました。
相手が死刑囚の場合、道徳心や宗教心を芽生えさせて、
自分の罪の深さを思い知らせた上で執行台に送るのは、逆に酷なことではないか?
など自問自答されていました。
でも被害者遺族は、「罪の重さを思い知ってほしい」と願っておられることが多く、
その点では遺族の気持ちに少しは応えられているのかもしれません。
考えれば考えるほど、難しい問題です。
皆さんは死刑制度についてどう思われますか?
一体何が正解なのでしょうね。