「良かれと思ってしたことが・・・」
良い結果を招かないことがよくあると思います。
「良かれと思って」
何かをする前に、きっちりシミュレーションを行う必要があります。
例えば・・・
Aという貧しい村があったとしましょう。
隣のBという村は豊かです。
B村の村長さんが、
A村の貧しさに見かねて、食料の援助を行うことになった。
毎週お米を100キロ届けた。
最初はA村の人たちはとっても喜んだ。
毎週お米が届く!
これが、1年も続いた頃。
B村も農作物が不作だった。
B村からのお米の支給が途絶えた。
A村は、B村に怒った。
「なんで、いっつも届くはずのお米が届かないのだ!!」
”お米が届く”これが、A村では当たり前になっていたのだ。
B村にとっても楽なことではなかった。
毎週100キロのお米を必ず届けることは大変なことだった。
でもA村の村人のために・・・
ちょっとでも助けになれば、と頑張った挙句、最後は責められる羽目になった。
人間、継続的な恩恵を”当たり前”に受けてしまうことがよくあります。
”当たり前”だと思っているから、途切れたら怒るのです。
”感謝”の気持ちを継続できることに越したことはないのですが。
なかなかその気持ちを継続することは難しそうです。
ということは、「良かれと思って」何かをする前に、
それがどれだけ継続できることか。
またそれがどのような結果に結びつくか。
本当に相手のためになることかどうか。
を見極めしなければなりません。
このA村、B村の場合。
私がB村の村長だったなら、きっとこういう提案をします。
「うちの村の畑を半分お貸ししますから、一緒にお米を育てましょう。」