先日、新聞に興味深い記事が載っていました。
ある里親さんが書かれたものです。
幼い頃から養育者に大切にされる経験を持たずに育つと、
子どもは他の人を信頼するこが出来ず、
対人不信の深さから共感的な人間関係が築けなくなる。
数年前の秋も深まったある日、
龍輝(仮名)が小学校から息を弾ませて帰宅するや、郵便受けを覗き込んだ。
「おかしいなぁ」
首をひねりながら、部屋へ引き上げてゆく。
妻が尋ねた。
「どうしたの?」
「お母さんから電話があって、お年玉を送るよって約束してくれたんだ。」
高揚した表情で龍輝が答えた。
「よかったね。でもお正月まで1ヶ月以上もあるからもう少し先かもね・・」
私も「龍輝、楽しみだなぁ」と声をかけた。
だが、あの母親が約束を守るだろうか・・・といぶかしむ気持ちもあった。
龍輝は正月まで欠かさず郵便受けを覗いた。
やがて3月になっても龍輝の行動は続き、ため息をついて肩を落とす姿が
日に日に増していった。
「龍輝は忘れん坊でしょう。
きっとお母さんも忘れん坊やさんなんだヨ」と妻が慰めた。
私が「お母さんに手紙を書いてみようか。」と提案すると、龍輝の顔が輝いた。
身長が40センチ以上伸びて、
妻の背を超えた龍輝に、私のアイビースーツを着せ、
胸に花を、手に小学校の卒業証書を持たせて写真を撮った。
「お母さん、元気ですか。龍輝は卒業しました。」
紙に貼りつけた写真の周りで、つたない字が嬉しそうに躍っていた。
母親へ送ったが、返事はなく、中学の入学式を迎えた。
再び写真つきの手紙を送った。
やはり返事はなかった。
結局入学のお祝いも約束されたお年玉も届かなかった。
「虐待」は殴ったり、食事を与えなかったりするだけではない。
子どもの投げた心のボールへの応答を怠ることも広義の「虐待」である。
このような積み重ねが人間への基本的信頼感を基礎から打ち砕く。
龍輝の母親ももしかしたら、過去に不適切な教育を受けたことで、
応答性に欠く母親になったのかもしれない。
「愛着研究」で知られるボウルビィーは「内的ワーキングモデル」の
理論を唱え、乳幼児期から養育者と安定した愛着関係を築いた人だけが、
「人は信頼できる」という力を育むことができると述べている。
私たち里親にとって、虐待的な環境で打撃を受けた子ども達の他者と自己への
基本的な信頼感を修復し、「信じる」力を育むことが、実は重要な役割なのである。
(以下省略)
最初の1行に目がとまり、
読みすすんでいくうちに、龍輝くんの気持ちを思うと泣けてきました。
今頃龍輝くんはこの素晴らしい里親さんのもとで、「信じる力」を育んでおられるんでしょうね・・・。
両親に大切に育てられた人以上に、人の痛みが分かる優しい大人に成長して欲しいと思います。
ちょっと重い話題でしたが、今の時代一番大切なことじゃないかなと思います。
昔ではあり得ない凶悪事件が毎日のように世間を賑わわせています。
それが全て親の責任だとは思いませんが、
親として、一番無力でなおかつ一番今後に影響を与えるであろう
幼い時期に精一杯の愛情を注いであげて欲しいと思いました。